■ 秋山 哲雄 Tetsuo AKIYAMA  
      

 
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〈略歴〉
  札幌オリンピックと浅間山荘事件のあった1972年に東京で生まれ、一歳の時に父親の仕事の都合でフランスに渡りました。物心ついたときに目にしたのはパリの風景で、耳にしたのはフランス語でした。六歳で東京に戻ると、同級生たちの話題についていくため、自分が東京にいなかった時に流行していたことを知りたいと思うようになり、それ以来、歴史に興味を持つようになりました。バブル景気の絶頂期に練馬区の都立高校に通い、サッカーに明け暮れる毎日を送っていたせいか、大学受験には二年連続で失敗し、合わせて12通の不合格通知を手に入れましたが、二浪の末に東京大学に入学しました。
 大学三年生の時にゼミで鎌倉を訪れ、発掘に誘われたことがきっかけで鎌倉の研究を始めることになり、そのまま大学院に入学しました。大学院では文字史料から歴史を考える、いわゆる文献史学を専門としましたが、学生時代は断続的に鎌倉で発掘も続けており、現在は考古学と文献史学の協業によって歴史像を描くことを目指しています。
 20世紀から21世紀をまたいだ1999年から2001年まで歴史学研究会の編集委員を務め、学会活動や教科書問題に取り組んできました。また、2002年から日本学術振興会特別研究員(PD)に採用され、2004年には「北条氏権力の展開と都市鎌倉」と題した博士論文を提出して2005年に東京大学から博士(文学)の学位を授与されました。その後、高崎商科大学非常勤講師、開智高等学校非常勤講師などを経て、2007年四月から国士舘大学文学部の専任講師となりました。

<担当している授業>

 鶴川キャンパスでは、「日本史学の基礎A」、「中世史料を読む1・2」、「日本史概説A」を担当。鎌倉時代を中心に、古代から中世末期まで目を配りながら、高等学校までの「日本史」という科目とは違った、「日本史学」の楽しさを知るための基礎を身につけることを意識した講義を目指しています。世田谷キャンパスでは、「日本中世史A・B」、「日本史演習1・2」を担当。史料を読み解きながら歴史像を描くという、日本史学の醍醐味を味わってもらえるように心がけた講義をしています。また演習では、学生一人一人の要望になるべく応えられるよう、幅広く対応したいと考えています。3年生の演習では「鎌倉年代記裏書」を講読し、4年生の演習では参加者の卒論作成に向けた論文要約や研究史整理、研究報告などをおこなっています。中世は武家政権が樹立されるという前代未聞の時代であり、また、現代につながる価値観の基礎が形成された時期でもあります。前後の時代と比べてもとても魅力のある時代です。学生のみなさんには、こうした中世のおもしろさを実感してもらいたいと考えています。

<学会活動>

  史学会、歴史学研究会、日本史研究会、大阪歴史学会などに所属。歴史学研究会では、1998年に日本中世史部会運営委員長、1999年から2001年まで歴史学研究会の編集委員を務めた。

○研究テーマと業績

鎌倉時代の武士や都市鎌倉に興味を持っています。これまでに発表した論文は以下の通り。
「都市鎌倉における北条氏の邸宅と寺院」(『史学雑誌』106編9号、1997)
「鎌倉中心部の形成とその構造」(『都市研究の方法』新人物往来社、1999)
「鎌倉期の若狭国守護と「若狭国守護職代々系図」」(『遙かなる中世』18号、2000)
「北条氏一門と得宗政権」(『日本史研究』458号、2000年10月)
「「守護所」に見る鎌倉時代の守護」(『鎌倉遺文研究』8号、2001年10月)
「鎌倉期播磨国の守護・国衙・悪党」(『(兵庫大学附属研究所)所報』7、2003)
「鎌倉期の長門国守護と『長門国守護職次第』」(『史料編纂所研究紀要』14、2005)
「都市鎌倉の東国御家人」(『ヒストリア』195号、2005年)
上記は秋山哲雄『北条氏権力と都市鎌倉』(吉川弘文館、2006年)に所収
「御所と北条氏亭」(『鎌倉市埋蔵文化財緊急調査報告書』12、1996年)
「都市鎌倉の形成と北条氏」(五味文彦・馬淵和雄編『中世都市鎌倉の実像と領域』高志書院、2004年)